政策提言・時事問題リポート

2006/05/10

祖父母の死に接して感じたこと

先日、祖母と祖父が相次いで他界してしまいました。祖母は93歳、祖父は99歳という長寿でした。祖母は高血圧のため4月初旬に入院しましたが、その翌日にベッドから落ちて顔と頭を強打したことが原因になったのではないかと考えています。祖父は2月末に入院し、何度か回復の兆しが見られましたが、最後は腎臓の機能が低下したとのことで息を引き取りました。
高齢とはいえ、同時期に二人を失ってしまうことは、やはりつらく寂しいことです。

この病院では、看護士と介護士とがいて、役割分担をしています。
介護士さんたちは、食事の世話、おむつやシーツの交換、床ずれができないように体の向きを変えること等、とてもよく面倒を見てくれました。何より、いつもあたたかい言葉をかけてくれ、励ましてくれていました。
中には学校を卒業したばかりの若い方もいらっしゃいましたが、みんな嫌な顔ひとつせずに、いつも笑顔で快く応対してくれました。
家族一同、頭が下がる思いでした。

今回のことを通じて感じたことがあります。直接的な医療行為ももちろん大切ですが、それ以上に、あたたかい声をかけてくれる心のある介護というものが特にお年寄りにとっては大きな意味を持っているのではないか、ということです。
自分が必要とされている存在であることを感じながら、回復できると信じ、生きようという強い気持ちを持ってもらう。このような環境を創ってあげることが大事だと感じています。

また、介護にあたる家族の大変さも知りました。『老(ろう)老(ろう)介護』の現実を感じました。この『老老介護』とは、平均寿命の伸長にともない、加齢による要介護者数が年々増大していく中で、それとともに介護者の年齢も高齢化している現状を表す言葉です。高齢者が負担の多い介護を担う点において、共倒れや介護過労死の危機が現実の問題として降りかかっていることが指摘されています。 家庭で介護に当たる家族への支援策を講じていくことを今一度考えていかなければいけません。
そして長年住みなれた家で最期を迎えたいと願う要介護者の思いを叶えてあげられる仕組みについても、在宅医療、在宅ホスピス等の形で実現できるように進めていく必要があると考えます。
多くのことを改めて考えるきっかけとなりました。